あなたも他人事ではない。イギリス映画『家族を想うとき』は、日本のフリーランスの未来を映す鏡?

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『ケス』『わたしは、ダニエル・ブレイク』といった社会派作品で知られるイギリスの巨匠、ケン・ローチ監督。

一度は引退宣言をした監督が、引退を撤回してまで世に問いかけた問題作があります、映画『家族を想うとき』です。

80歳を超えてなお、社会の矛盾や不条理に強い眼差しを向け続ける監督を突き動かしたのは、現代社会に広がる格差と貧困でした。

取材を続ける中で明らかになった、フリーランスやギグワーカー(インターネットを通じて短期・単発の仕事を請け負い、フリーランスの立場で働く就業形態の人)たちの過酷な労働実態。   

「自由な働き方を選んだはずなのに、なぜ生活を犠牲にしてまで長時間労働を強いられるのか?」

今回は、映画『家族を想うとき』を通して、フリーランスの厳しい現実を見つめ、私たちが考えるべき課題を探ります。

目次

映画『家族を想うとき』は現代のおかしな働き方に警鐘を鳴らす作品

まずは予告編動画から。

改めて、ケン・ローチ監督の『家族を想うとき』の紹介です。

本作は、『ケス』(1969)、『わたしは、ダニエル・ブレイク』(2016)などで知られるイギリスの名匠ケン・ローチ監督の2019年の作品です。

社会的弱者や労働者に寄り添った作品を多く描いてきたローチ監督。

監督は前作の『わたしは、ダニエルブレイク』を最後に監督業の引退を宣言していましたが、宣言を撤回してまで本作を撮ることに決めたそうです。

きっかけは、前作の『わたしは、ダニエルブレイク』のリサーチの際に見かけたフリーランスやギグワーカーなどの”新しい働き方”に潜む過酷な現状を目の当たりにしたからです。

イギリスや世界中でなお拡大し続ける、格差や貧困問題。

生活を犠牲にしてまで長時間働かなければならなかったり、不安定な仕事を強いられたりする現代の働き方への疑問や怒りがきっかけで作られた作品なのです。

 映画「家族を想うとき」の物語を解説!

映画「家族を想うとき」ストーリー4

ケン・ローチ監督が、引退を撤回してまで撮った映画『家族を想うとき』。

この章では、映画「家族を想うとき」の物語について、解説します。

(物語の内容に触れていますので未鑑賞の方は、ご注意下さい)

面接を受けに行った運送会社で持ち掛けられたのは、請負のフリーランス運送業

本作『家族を想うとき』の主人公リッキーは、妻のアビーと高校生の長男セブ、小学生の娘ライザの4人で暮らす、ごく平凡な家庭の父親です。

かつては、建設作業の仕事をしていたリッキーですが、10年前の銀行取り付け騒ぎで建設の仕事を失い、職を転々。

現在は、1人親方(人を雇わず特定の仕事をしている人)として仕事をしていますが、満足に生活していけないため、ある運送会社に転職面接を受けに行きます。

「うちは君を雇うわけじゃない。オーナー制度だ」

面接した現場監督は、リッキーにこのようなことを言います。

どうやらリッキーが面接を受けたその運送会社では、社員採用をしていない模様。

代わりに持ち掛けられたのが、運送会社と業務委託契約を結び、荷物の配送サービスを行うフランチャイズの独立ドライバーの仕事です。

つまり、正社員としての雇用契約ではなく、フリーランスの立場でその会社の運送業を請け負うという形です。

支払いも給料ではなく運送料、雇用関係も売り上げ目標もないと告げられます。

雇用関係も売り上げ目標もないと聞かされると”自由な働き方”のように思えますが、実態は真逆でした。

自分が配送する荷物を1つずつスキャナーで読みとり、追跡システムで届け先までの動きを1日中監視される働き方です。

監視されているので、サボろうものならバレてしまうので誤魔化しはききません。

荷物を預けないと罰金を課されてしまうおまけ付きです。

そんな状況なので、のんびり休憩している暇などなく、トイレ代わりにペットボトルに用を足さないと配送できないほどの過酷さです。

リッキーは、そんな過酷な働き方を1日14時間、週6日続けます。

「2年間働けば、家族との生活も安定させられる」

リッキーは家族と幸せに暮らすために、身体にむち打って、まるでロボットのような働き方を選ぶのです。

家族のために仕事をしているつもりが、家族のことを構っていられなくなる皮肉

真面目な仕事ぶりで奮闘するリッキーは次第に、運送会社の現場監督からの信頼を得るようになります。

ある時、リッキーにさらなる収入増のチャンスが。

別のドライバーが担当していたルートを、代わりに担当することになるのです。

それは、以前から所属しているドライバーもやりたがらないようなルートです。

しかし、リッキーは、今より収入を多く得て家族を楽にさせられると考えからそのルートを選びます。

その選択が、リッキーの過酷な状況に拍車をかけるようになるとは…。

年頃の高校生セブが学校に呼び出された時も、学校に向かうことができません。

また、セブが店の商品を万引きをしたとの知らせを受けて、警察に出向かなければならない時ですら、厳しい状況です。

リッキーは、何とか現場監督にかけあって仕事を抜け出そうとするも、家庭の事情などおかまいなしです。

「なにをグズグズしている。早く荷物を下ろせ!」。

現場監督は、家族がどのような状況だろうとおかまいなしに、仕事を優先させようとします。

フリーランスとして働いている立場なのに、雇用関係を結んだ労働者のように働かされる矛盾。

ある日、少しでも家族の問題を解決したいと思い立ったリッキーは、改めて現場監督に、1週間の休みをもらおうとします。

しかし、そこで飛び出したのは信じられない発言です。

「なぜ俺に頼む?代わりのドライバーを探して配送してくれれば済むことだ。自営だからな」。

都合のいいときだけ、自営を持ち出してきます。

そこには心はなく、会社の配送ノルマを達成するためのロボットのようにしか見ていないのです。

「1日休めば100ポンドが飛ぶぞ!」

スキャナーの管理と罰金で人を押さえ込む働き方は、フリーランスの皮を被った、搾取と言っても過言ではありません。

仕事上のトラブルなのに、罰金を科される理不尽な状況に陥る主人公リッキー

家族のことに、気をもみながらも配送の仕事を続けていたある日。

リッキーは配送中に強盗に殴られたうえに、荷物と2冊のパスポートを盗まれてしまいます。

彼を管理していたスキャナーは、破損してしまいました。

リッキーの顔は腫れ上がり、手首や肋骨までも骨折してしまうのです。

手負いの状態で妻に連れられ、病院で治療を受けようとするも、病院はぎゅうぎゅうです。

何時間もの患者待ちの状態です。

そんな状況でも、現場監督からの連絡が入ります。

「盗まれた2冊のパスポートは、保険が利かないので500ポンド(約10万円)の罰金だ。破損したスキャナーは、1,000ポンド(約20万円)の罰金を払わなければいけなくなった」と、現場監督は非情にも言い放つのです。

これだけでも十分な追い打ちですが、さらに今度は、「次の日の代わりのドライバーはいるか?」と言い放ちます。

1日14時間、1週間6日も働く奴隷のような働き方をさせたうえに、自己責任のようなあつかいをする会社。

こんな酷い仕打ちを受けるとは…。

それでも、リッキーは医者にもまんぞくに診せていない重傷の身体を押して、また配送の仕事に向かっていくのです。

罰金のために、家族が路頭に迷うことを恐れて。

こんな理不尽な働き方は、おかしい。リッキーは運送会社の理不尽と戦わないのだろうか?

そんなことを感じさせる。何ともやりきれないラストでした。

私もフリーランスですが、仕事が減って路頭に迷いかねない状況に陥ることはしばしば。

「生活のために多少のきつい仕事もこなさなければ」と考えることもありますが、本作の主人公リッキーのような働き方に耐えられるのだろうか?と、考えてしまいました。

本来の自分の家庭を壊すまでして働くような働き方は、仕事の本質を見失っているようにすら思えるからです。

映画『家族を想うとき』は、実際にイギリスで起きた死亡事故をヒントに描かれた作品

本作は、イギリスの配送業者「DPD」で起きたある男性配達ドライバーの死亡事故を元に作られました。

男性は19年間配達ドライバーとして働いてきましたが、ある時、会社から業務委託契約(仕事の成果により報酬を得る働き方)の雇用契約に切り替えられます。

いわば、フリーランスです。

収入は、荷物1個を配達するごとに得られる仕組みなので、とにかく多くの荷物を運ばなければ収入になりません。

過酷なのはその日中に配達できないと、収入減だけでなく損害賠償が発生する点です。

1日分の荷物が配達できないと150ポンド(日本円で約2万3,000円)、半日分の荷物だと75ポンド(約11,500円)の罰金です。

そのようなペナルティがあるので、男性は無理をしてでも働かなければならず、有給休暇すらろくに取れませんでした。

この過酷な労働状況のなかで、男性は糖尿病にかかり体調を壊してしまいます。

しかし、罰金制度があるため、医者に通う時間が取れずに予約をたびたびキャンセル。

体調は日に日に、悪くなります。

それにも関わらず無理をし続けた結果、病状は悪化し、妻と息子を残して男性は亡くなってしまったのです。

男性の死亡後、会社側は遺族に詫びを入れる姿勢は見られません。

「病院に行くためにわざわざ1日休みを取らなければならないといった考え方が、理解の範囲を超えていた。そのため規約通り罰金が科せられて当然だと判断したまで」。

男性の働いていた会社の地域担当マネージャーは、このように冷たく主張する始末です。

フリーランスの働き方にも関わらず、業務を完了できないと罰金まで科される過酷な労働環境は、会社と雇用関係を結ぶ社員となんら変わらなにのに、あまりにも酷い仕打ちです。

この働き方は、まさに偽装フリーランス(雇用契約を結んでいないのにも関わらず企業の指揮下で働く状態)のなにものでもない働き方でしょう。

日本のフリーランスも理不尽な働き方を強いられていないのだろうか?3つの偽装フリーランスの事例を見る

日本のフリーランスの中でも、映画「家族を想うとき」のリッキーのような働き方を強いられている方はいないのでしょうか?

この章では、現在、日本で問題となっている偽装フリーランスの3つの事例を見ていきたいと思います。

事例①長時間の工場勤務の末に亡くなった男性の話

ある工場で16年間勤務していた男性の話です。

男性は、平日は朝5時半に起きて職場へ向かい、帰宅するのは遅くて夜の22時。

土曜日も出勤することがほとんどだったといいます。

工場にクーラーはなく、夏場は冷風機、冬場はだるまストーブで暖まるような不十分な労働環境下での仕事です。

そんな環境下で働いていた男性は、ある日工場で勤務中に突然倒れ、意識をなくしたまま帰らぬ人となってしまいました。

その後、遺族は会社側の健康管理体制を問いました。

すると、会社側からは、信じられない答えが返ってきたと言います。

「男性と会社の雇用関係はなく、フリーランスとして雇っていたのだから会社側に健康を管理する責任はない」。

男性の仕事内容は会社と雇用関係がある正社員となんら変わらない働き方だったにも関わらず、フリーランスだから健康管理も自己責任扱いされたのです。

納得のいかなかった遺族は、男性の労災認定を求めて裁判を起こします。

しかし、会社の労働者としては認められたものの、仕事上の死亡だとは認められませんでした。

何ともやりきれない事例です。

参考:16年働いた工場で逝った夫 死後に社長は言った「雇用していない」

事例②業務委託契約をしたのに社員のように働かされたカメラマンの話

フリーランスのカメラマンとして働く40代男性の例です。

仕事で撮影スタジオに向かう途中、トラックに追突されて足の指を骨折するなどのケガを負った男性は、労災を申請するも受け入れられませんでした。

会社と業務委託契約を結んでいたものの、フリーランスの働き方ではなく、完全に会社の従業員のような働き方だったにも関わらずです。

具体的には、1カ月平均20日間の業務で業務時間や場所も管理されており、働いた時間の対価として報酬が支払われる固定給の働き方でした。

男性はその働き方が雇用関係に当ると労働基準監督署に訴えたところ、「仕事中の交通事故」として労災認定されます。

しかし、労災は認められたものの、未だに雇用関係は結ばれずに業務委託契約のままだと言います。

立場が弱いフリーランスを都合よく働かせる「偽装フリーランス」の現実が、ここにもありました。

参考:「偽装フリーランス」問題 本当に業務委託?その実態と対策は

偽装フリーランスの事例③Amazonで働くフリーランスドライバーの話 

Amazonの配達員として働いていた、ある男性の事例です。

男性はAmazonから委託を受けた下請け会社と業務委託契約を結んで、フリーランスとしてAmazonの荷物を運んでいました。

ある日、荷物を配達中に階段で転倒。

腰や胸などの骨を折るなどして、半年間の入院と通院、休業を余儀なくされたと言います。

男性を管理していたのは、Amazonのスマートフォン専用アプリです。

このアプリをもとにその日の配達ルートや配達荷物の数が決まり、毎日200件の過酷な配達ノルマが課されていたのです。

男性はこの点を主張し、労働基準監督署に労災を申請し認められます。

下請け会社からの依頼でAmazonとは直接の雇用関係はなくても、Amazonの専用アプリで配送先や労働時間を管理されていたので、フリーランスではなく”労働者”と判断されました。

しかし、その働き方が改善される状況は変わっていないようです。

参考:フリーランスのアマゾン配達員 配送中のけがを「労災認定」 宮崎労基が「企業に雇用されている労働者と変わらない」と判断した理由は…

Amazonのアプリで配送先を監視されている働き方は、今回取り上げた「家族を想うとき」のスキャナー管理と同じ仕組みではないでしょうか?

参考:「団交に応じて」、アマゾン配達員 不当労働行為で救済申し立て

最近、このような働き方を強いられるフリーランスの方たちで労働組合を作り、不当労働行為で救済申し立ての声を上げる動きも出てきました。

このような理不尽な働き方に、勇気を持って声を上げるべきだと感じさせるニュースです。

幸せに生きるには、間違ったことに声を上げ続ける必要がある

今回は、映画『家族を想うとき』を通して、現代社会におけるギグワーカーやフリーランスの過酷な働き方に焦点を当ててきました。

2019年のカンヌ国際映画祭でのスピーチで、ケン・ローチ監督は私たちにこう語りかけました。

「私たちがやらねばならないことはひとつ。耐えられないことがあれば、変えること。今こそ変化の時だ」と。

映画の中で描かれた理不尽な労働環境や日本で実際に起きている偽装フリーランスの問題は、決して他人事ではありません。

自由な働き方を求めたはずが、不当な搾取や不安定な状況に苦しんでいるフリーランスは、今もなお多く存在します。

このような状況を変え、誰もが安心して自分らしく働ける社会を実現するために、私たち一人ひとりが声を上げ続ける必要があるのではないでしょうか。

理不尽な働き方に対して「おかしい」と感じる感性を持ち、連帯していくことこそが、より良い未来を切り開く鍵になると私は信じています。

(参考:『家族を想うとき』オフィシャルサイト)

(参考:ケンローチ監督インタビュー)

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この記事を書いた人

はじめまして。webライター6年目のシモといいます。

5度の転職を経験。40代後半で3度の転職をしたあと、サラリーマンを卒業。

アルバイトとして2年間webライターの経験を積んだあとフリーランスのライターとなり、今年で4年目の50代です。

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